- 2020-05-04 Mon 09:49:34
- 穂高
2010年 “a ray of hope”
人々がきっと同じような思い、願いを持って過ごしているんだろうに
批難や批判、中傷、、というものは、人類?にはどうしてもでてくるもんなんですかね、、、
願わくば、、、と思うばかりでなんもできませんが
“世界平和” も 小さな自分の生活範囲でも
“世の中すてたモンじゃない”
“人ってあったかい”
って 小さなことでもなんていうか、こころとからだの栄養になる
非日常的な日常を、自分にできる暮らしぶりでやっていけたらと。
こうしていることが逼迫した状況にないから言えるんだけどね。
ほんとにたいへんな状況の中にいる人たちも
なんとか、上をむいて こころが折れないように、と願う
(きれいごと言ってる場合じゃねーよ、ていわれるかもだけど)
医療現場や関連業者の方々への感謝や想いを抱いて
それぞれの暮らしぶりで 毎日を過ごしていければ
と 願ってます。
空はどこからでも見える、
(こちら側が見ようとすれば)

(大三角 宮田八郎撮影)
で、
星座盤 いくつもあるんですが、
ウラっかわの月の早見板 見たら…!

へ?
27年ほだか組 て、、、
27才の時かい? 平成27年かい??
たぶん27才だね、、、笑
むかし、
穂高小屋にいた頃(私) 自給自足が理想の暮らしで(勝手に)
山での不便さを楽しんで
大豆をカルピスの瓶(瓶だった!)で潰して豆腐作ったり
圧力鍋にステンレスボール2重に被せてパン焼いたり
カボチャの種 干して食べたり エトセトラエトセトラ(話し出すと長い 笑)
2020年は
また天然酵母作って(糀) 拾ったくるみを割って
全粒粉ぱんを。。。
これ、うまくいくとなんちゅうか 誰かに言いたくなるのが ヒトの性… 笑
あるものでなんとかする、ってたのしいッス
片付けをしようととりかかると
もう… 途中下車ばかりで、、、 まぁ それを楽しんでるところもありますが。
なんとなく好きな本や読み返そうと思った本を「積ん読」して、、、
昔の自分のこと その時のこころもち を思いおこしてニヤリとしたり、、、
断舎利でけまへん
笑笑

タルキートナからのハガキもみっけた
長文失礼しました
“a ray of hope” いいたかっただけなのに
Comments: 3
- 根本研司 URL 2020-05-07 Thu 15:00:24
初めて穂高に登ったのは、33年前の1987年8月8日、朝、上高地を出て岳沢から重太郎新道を登り紀美子平にザックを置いて前穂山頂を往復しました。初めての3000メートルはガスの中で何も見えず、吊尾根を通っているときに雨となり、長袖の山シャツと雨具を羽織って主峰奥穂山頂を越えて穂高岳山荘まで歩き宿泊しました。受付をして記念に穂高岳山荘発行の「貴方は北アルプス最高峰奥穂高岳3190mの山頂に立ったことを証明致します。」と書いてある登山証明書(確か300円)と二代目オーナー今田英雄さんアイデアのジュースの空缶を再生利用した穂高岳の空気の缶詰(200円)を2個お土産に買いました。今でも登山証明書と空気の缶詰は持っています。今田重太郎さんが地下足袋を履いて
座っていたのを覚えています。1985年の秋に山登りを始めた時から「山と渓谷」と「岳人」を定期購読しての独学でしたが、鈴木昇巳さん監修の「穂高を歩く」と小西政継さん監修の「実戦登山セミナー・春山・北八ガ岳から穂高岳へ」が教科書でした。アパート住まいが長かったので「岳人」は、大ファンだった小西政継さんの記事が出ているもの意外の大部分を処分しました。(小西さんは1996年9月末マナスル登頂後行方不明)。山渓だけはと思いましたが10年分ぐらい処分してしまいました。最近、少しずつ「山渓」を整理していたら1996年4月号に「従業員の手による穂高岳山荘の記念ビデオ完成」の見出しで二代目オーナー今田英雄さんの穂高暮らし30年を記念して自主製作した「風と太陽の稜線で・穂高岳山荘物語」と題されたこのビデオは、山荘のスタッフが一丸となって製作したもので、撮影は山荘に入って8年になる宮田八郎さんが担当したという内容に、今田英雄さんと宮田八郎さんの写真が添えられた記事となっています。当時、この記事を見て、このビデオを2本穂高岳山荘事務所から購入しました。1本実費1000円でした。懐かしい記事、忘れていた記事もあるので宮田さんや今田英雄さんの記事を他にもゆっくりチェックしたいと思います。NHKの映像コンクールかなんかで宮田さんの撮影した映像が表彰された記憶があるのですがゆっくり探してみたいと思います。大事なものは取っておきたいと思います。- 海月 URL 2020-05-06 Wed 10:49:24
「断舎利」がなかなか出来ないのは同感です。(商標権の問題ですかね?)
母親の荷物整理をしていますが、写真集が10冊以上あり、私の生まれる以前のものも有りました。
昔の志賀高原はバスは沓水小屋までで、そこから馬橇で丸池や熊ノ湯へ行き、当時は板切れを貼り合わせた小屋でした。上高地行きの道は砂利道で、すれ違いの時助手席で崖に墜ちないか見ながら進んでいました。トンネル内は岩むき出しで地下水が湧き出していたのを覚えてます。
山が観光地化され多くの人が感動することは良いことだと思います。でも自然界との調和が大前提にあると考えます。コロナウィルス事件の影響もあってか、長野県警察の資料では槍穂高の山岳遭難者は0です。奇跡的ですよね。
(岐阜県側では西穂高で遭難があった様ですが)
今、人間が自然とどう向き合うのか、宮田さんが一番考えていた様に思います。我々も自然界の一部とい事が大前提です。山に対する敬意と協調が大事だと思います。
母親の写真集に「500円握り小学校1年生から一人で志賀高原に」と書かれ、紐の皮靴と竹のストックに膝まである毛糸のジャンパーの私が有りました。なかなか整理つきません。- 北ア好き人 URL 2020-05-05 Tue 01:06:30
私、思うのですが、
断捨離とかって、しなくても全然いいと思うのです。
分からなくも無いです。
色んなしがらみ捨てれたら、楽だろうな、というのも分かります。
だけど、なんか、「断捨離すべし」みたいな流れって、人の(自分の)感情に逆らってるみたいな気がして・・・なんだかなあ、と思うのです。
捨てるつもりだったけど、やっぱり捨てれないものってあると思います。
捨てられないなら、捨てなくていいじゃん。
捨てたければ、捨てればいいし。
動物さんたちは、ほとんど一瞬一瞬の為に生きて行くけど、
ほぼ人間だけでしょ、色んな「思い出」持って生きるのは。
「思い出」が厄介なこともあるけれど、それが人間ってもんで、それには色んな「モノ」も関わってるし、その一つ一つに、「想い」が蘇るし、その時の「匂い」なんかも残ってますよね。
「Talkeetna」って、どこだろうと思って、ストリートビューで見てみたら、
すごく素敵なところでした。きれい、というか、心が休まるような、そんなところ。
行ってみたいし、なんだったら、それこそすべてを「断捨離」して住んでみたい、と思いました。
(あ、でも英語できまへん)
ここ最近の切羽詰まった感じからの、私の「a ray of Hope」になりました。
(HODAKA#217じゃなくてすみません)
それにしても・・・「お父は頑張ってきます」って、書いてあるんですよね。
この言葉に、あ~なんか笑えて、泣けてきました・・・。
ハチローさんは、デナリ(マッキンリー)に立ったのでしょうか。
もし、その時のお話や写真があるなら、ぜひ見てみたいと思いました。
(勝手なこと言ってすみません)
いつも素敵なお話と写真、ありがとうございます。
「夏の大三角」見上げて頑張ります。
(いやあれは冬の大三角?)