- 2018-01-30 Tue 10:24:04
- 穂高

(2018/01/29 甲斐駒ケ岳黒戸尾根八合目付近)
甲斐駒ケ岳へ登ってきました。
この日は先ごろの強烈な寒気も緩み、風も穏やか、視界は良好で周囲には大パノラマ(北アルプスだけが雪雲に覆われていたけれど)が広がり、およそ厳冬期としてはこれ以上ないコンディションに恵まれての登頂でした。

(2018/01/29 甲斐駒ケ岳山頂付近にて)
甲斐駒ケ岳は標高こそ3000mにわずかに足りないものの、その端正な山容は名山が立ち並ぶ中央線沿線の中でもひときわ威容を誇っています。
岩、沢、アイスの好ルートも数多く、穂高を別にすれば私の一番好きな山かもしれません。
甲斐駒の東に延びる「黒戸尾根」は山岳信仰の名残を色濃く残すいわば表登山道。
その標高差2200mは国内では群を抜いたスケールで(他に2000mを超えるものとしては劔の早月尾根くらいでしょうか)、途中には高度感のある鎖やハシゴ場も数多くある、登り応え十分な好ルートです。
(ウキペディアには、「このコースは五合目手前の「刃渡り」と七合目手前の鎖場以外、技術的にはあまり困難なところはない」なんて記してありますが、ウソやで⁉︎ そんなん!)
その黒戸尾根を冬季にたどるとなるとかなりハードであるのはあたり前。
でもその心強いサポート役として存在してくれているのが全行程の2/3ほどに位置する「七丈小屋」です。
なんと信じられないことにその七丈小屋は通年営業(要予約連絡)!
さて七丈小屋は咋春に管理する小屋番が変わりました。
前任のタナベさんは、私が「日本一気合いの入った小屋番」として密かに尊敬するところの人物で、その圧倒的な仕事ぶりは黒戸尾根の随所に見られる登山道補修に象徴されています。
私はアイス目的で長大な黒戸尾根をたどる度に、その登る者目線に立った丁寧な道直しや小屋でのぶっきらぼうだけどさりげない心づかいに、登山者としても同業者としてもいたく感じ入っていたのです。
しかしながらその超人タナベさんも年齢的な理由で小屋番を後任へ委ねざる得なくなったそうです。
しかーし、あの黒戸尾根を通年にわたって担うことができる人材などはそうそうおらへんやろ⁈ というのが私の正直なところでした。
それがなんと! 果敢に名乗りを上げたのがかの花谷泰広‼︎
花谷くんは言わずと知れた「ピオレドールクライマー」であり、我が国のみならず世界を代表するトップクライマーのひとりです。
近年はガイド業の傍ら「ヒマラヤキャンプ」などの活動で後進の指導にも力を入れていてる日本登山界のホープであり、爽やかな笑顔が印象的なナイスガイ。
彼とはいつだかの穂高稜線での遭難救助の際、たまたま付近でガイド中にレスキューに手を貸してくれたきっかけで知り合いました。
その夜にお礼をすべく小屋で一杯やっていたとき彼の関西弁に私が訪ねたのです。
「ふーん、、、 花谷さんって関西のご出身なん?」
「あー 神戸です」
「…ふーん、、、 神戸のどこ?」
「灘区ですねー、知ってはります?」
「なっ、なっ、灘区⁉︎ 灘区のどこっ?」
「水道筋の上の方で…」
「えぇぇ〜 ほんなら“水野のミンチカツ”とか知っとお?」
「めっっちゃ、知ってますよぉ!」
ということから話が盛り上がり、
やがて彼が私と同じ高校出身でちょうど10年後輩であることが判明した頃には、
もう「花谷さん」→「花谷くん」→「花ちゃん」と呼び名が変わってしまっておりました。
以来、山の実力も実績も遥かに劣る私を彼は「センパイっ!」と呼んでおつきあいしてくれている訳なのですが、
昨秋に私が神戸で催した上映会のゲストをお願いした時も、
超多忙の身にもかかわらず「センパイのお誘いですやん! もちろん行かせていただきますっ!」と二つ返事で引き受けてくれました。(もっとも爽やかすぎる彼とハチプロとではそのキャラがあまりに違い過ぎ、当日に司会を担当した私の同級生が、舞台に並ぶ二人を評して「なんかまるで(元)日ハムの大谷と(元)阪神の川藤みたいやなー」と絶妙なボケをかましてくれたのを聞くに及んでは、呼んでしまったコトをちょっと後悔しましたけれど)
さてその彼が七丈小屋をやるとなって、
「そうかー 花ちゃんも小屋番の仲間入りかぁ! そら、なんかお祝いしたらなアカンなぁ… ほんならこの冬には美味い酒でも持って表敬訪問させてもらうわ」
との申し出に、
彼はあいかわらずの爽やかな笑顔で、しかもすかさず、
「や、サケは小屋にいっぱいあるから、そうですねー …… 肉っ、(それも) 飛騨牛がいいっ!」
とか言いよるんです。
で「ハチローさんと小屋で関西正統派すき焼きとかサイコーですやん」とも。
私は内心(「飛騨の名物って漬物とかもあんねんけどなー ……(飛騨在住の私でさえ)飛騨牛なんてろくに食うたことないどっ⁉︎」)と思いもしたのですが、そこはセンパイの見栄で、
「おー まけせとけ、まかせとけ」みたいな。
あー 説明がうだうだと長くなってしまった。
つまりは今回、七丈小屋の花ちゃんに飛騨牛を届けてすき焼きを食べるために黒戸尾根を登ったわけです。
ちなみに登る前にメールで「肉だけでエエねんやんな?」と尋ねると、これもすかさず、
「一式お願いしますっ!」と返ってきて、
(「マジかよ。 …いま野菜高いねんど!」)との思いも一瞬よぎったのですがそこはセンパイの義理でこれまた受けとめ、野菜はもちろん豆腐からキノコから生卵までがっつり用意させていただいたのです。
で、仲間ふたりのサポートですき焼きセット一式と酒などを背負いあげ、それはそれは楽しい山の一夜を過ごさせていただいたわけです。

(2018/01/28 甲斐駒ケ岳•七丈小屋にて)
(ブレてますが、できるだけアホな表情の花谷泰広をご覧いただきたく、あえてこの写真とさせていただきました ザマミロ)
でも今回改めて七丈小屋のお世話になってみてつくづくと感心したのは、彼がなりたての小屋番とは到底思えないような立ち振る舞いであったことと、何より登山者をその山に迎えようとする真摯な想いに溢れていたことです。
例えばそれは彼が記しているこの言葉にもよく現れているのではないでしょうか。
それは普段私が穂高で思っていることと全く同じであって、しかもその相反する思いの中での立ち位置みたいなものは私は永年の小屋番経験でようやく思えるようになったようなことであるのに、彼にはもうとっくにわかっていて実践しようとしてるんやなぁと。
今回の私たちは、この時期としてはちょっとありえないような好条件に恵まれてのサミットアタックで、それはそれは快適なものでした。
しかしそれは天候や雪のコンディションひとつでぜんぜん違ったものであったはずです。
冬では普通の烈風に吹かれていたなら今回は気づかなかった装備の不備を思い知ったかもしれませんし、小屋の標高でさえマイナス20℃を下回るような状況なら、ほんの些細なワンミスが命取りにもなったでしょう。
山のストレス要因は足し算じゃなくて掛け算で増していくものだと思います。
だから本気の山に対処するには本気の経験を重ねていくしかありません。
「山は年数ではなくて実際にそこで過ごした本気の日数(時間)である」とは、今回の花ちゃんとの会話で出てきた言葉です。
だから下山後に仲間と語ったのは、
「あのな、今回はほんまに山の機嫌が良かった(良すぎた)から上手くいってんけど、これを自分たちのスタンダードというか冬の甲斐駒の(冬山の)基準にしたらあかんと思うねんな」
「そうですね、 …黒戸尾根、マジなラッセルだったら一日で小屋までたどり着けないかもですよねー」
「せやろ? だから次は万が一に備えて花ちゃんとこまで行けんでもすき焼き食えるようにデカ鍋も持つか…」って、、、
ん? なんかちゃうか。
Comments: 2
- 高橋尚代 URL 2022-12-23 Fri 02:44:03
花谷さんが載せてくださったお陰でハチローさんの温かなお喋りを横で聞いている様な気持ちにさせられて嬉しい限りです。
でも、こんなに素敵な方が事故で今はいらっしゃらないなんて事があるのだ、と改めて残念に思いました。
冬の黒戸尾根、昨年行き損ないましたが、いつか行ければ良いなぁとも改めて思った事も添えておきます。あ、お肉は持ち上げられませんが。。- ヒロ URL 2018-02-05 Mon 06:33:47
はじめまして,水谷と申します。
2月3日のNHKのカラコルムアタック見ました。
谷口けいさんも出てきて,泣きながら見ていました。
私は学生時代(30年程前)北アルプスによく登っていました。
5年前にまた山が恋しくなって,すこしずつトレーニング登山をしています。
この5年間で北アルプスは,西穂独標,燕,常念と登りました。
今年は,秋に奥穂山荘までおじゃまする予定です(体力に合わせて涸沢かザイテンの取り付きまでにするかもしれません)。
奥穂山荘でお目にかかれることを期待しております。
よろしくお願いいたします。