- 2016-07-19 Tue 05:42:32
- 穂高
昨日、九州から東海地方にかけての梅雨明けしました。
その発表をうけて「やったね!」との記事をいったんは記したのですが…

(2015/07/11 屏風より)
その梅雨明けのとたんに穂高でおふたりがお亡くなりになってしまいました。
報道では「北アルプスで遭難相次ぐ」などの見出しが載っていましたが、それは「北アルプス」というより「穂高」でです。
日本の登山者人口がおよそ1000万人、そして年間に山で亡くなる方は約300名。
その確率は0.003%、つまり10万人のうちの3名が命を落としています。
で、穂高の年間登山者数はおそらく10万人ほどで年間死亡者が約20名。
確率0.02%、1万人で2名が亡くなる勘定です。
(間違っていたらすみません。あくまでぼくのいい加減なリサーチでです)
確率10万分ノ3と1万分ノ2という数字の違いが、どれほどの危険の差を表しているのかはわかりません。
(まあ穂高が全国平均より10倍ほどは危険だとはいえそうですが)
でもそんな数字にほとんど意味などない気もします。
例えばこんなことがありました。
春の連休ごろに、新雪が積もったホワイトアウトのあずき沢を下ろうとした若者に「こりゃあちょっとヤバいから止めとけよ」と言うと、「どんくらいの確率でナダれっすかねー」と尋ねられたのです。
で、ちょっと絶句しつつも「……そら50分ノ1なんか100分ノ1なんか、あるいは1000分ノ1なのかはわからん。でも、イッパツ出れば死んでまうで。 ヤられてしまえばそんなもん『1分ノ1』やんけ」と答えました。
そして彼はしばらくの逡巡の後、小屋で様子を見るということにしてくれました。
もしもあの時に、そうしたリスクを彼自身が自ら認識し、覚悟と気合を持ってそこへ踏み込むというのなら(周囲へメイワクをかけるとかの話は別にして)ぼくはそれはそれでアリだったとは思います。
山登りを真剣にやっていれば、そうした状況の危険度を承知で進まねばならない場面にはどうしたって遭遇してしまいます。
程度の差はあれ、もともと登山とはそうしたリスクを内包しているものであって、もしも危険を全く犯したくないのであれば、そもそも山になんて登るべきではないのです。
穂高での「1万分ノ2」というリスクをどう捉えてどう考えるべきなのか。
その数字だけでいうと、それはぼくを含めて「まさか自分が」というレベルです。
そんなもん自分がそんな貧乏くじを引くわけがない、と人間誰しもが思います。
でもそれは事故に遭った人も同じであったはず。
「まさか自分が」と。
そしてその方にとっては、その出来事は「1分ノ1」です。
昨年に相次いで大切な友人が山で逝ってしまって、ほんとうに多くのことを思ったし考えました。
それはずっとかたちを変えながら続いていて、例えば今ぼくがいちばん山で信用できないのは自分自身ということ。
彼や彼女でさえミスをしてしまったというのに、いわんや自分においておや、なのです。
今日、踏み出そうとするその一歩がほんとうに大丈夫かどうか、それを常に自分に問い続けなければいけないと思っています。
それはとても難しいことではありますけれど。
このたびお亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。
その発表をうけて「やったね!」との記事をいったんは記したのですが…

(2015/07/11 屏風より)
その梅雨明けのとたんに穂高でおふたりがお亡くなりになってしまいました。
報道では「北アルプスで遭難相次ぐ」などの見出しが載っていましたが、それは「北アルプス」というより「穂高」でです。
日本の登山者人口がおよそ1000万人、そして年間に山で亡くなる方は約300名。
その確率は0.003%、つまり10万人のうちの3名が命を落としています。
で、穂高の年間登山者数はおそらく10万人ほどで年間死亡者が約20名。
確率0.02%、1万人で2名が亡くなる勘定です。
(間違っていたらすみません。あくまでぼくのいい加減なリサーチでです)
確率10万分ノ3と1万分ノ2という数字の違いが、どれほどの危険の差を表しているのかはわかりません。
(まあ穂高が全国平均より10倍ほどは危険だとはいえそうですが)
でもそんな数字にほとんど意味などない気もします。
例えばこんなことがありました。
春の連休ごろに、新雪が積もったホワイトアウトのあずき沢を下ろうとした若者に「こりゃあちょっとヤバいから止めとけよ」と言うと、「どんくらいの確率でナダれっすかねー」と尋ねられたのです。
で、ちょっと絶句しつつも「……そら50分ノ1なんか100分ノ1なんか、あるいは1000分ノ1なのかはわからん。でも、イッパツ出れば死んでまうで。 ヤられてしまえばそんなもん『1分ノ1』やんけ」と答えました。
そして彼はしばらくの逡巡の後、小屋で様子を見るということにしてくれました。
もしもあの時に、そうしたリスクを彼自身が自ら認識し、覚悟と気合を持ってそこへ踏み込むというのなら(周囲へメイワクをかけるとかの話は別にして)ぼくはそれはそれでアリだったとは思います。
山登りを真剣にやっていれば、そうした状況の危険度を承知で進まねばならない場面にはどうしたって遭遇してしまいます。
程度の差はあれ、もともと登山とはそうしたリスクを内包しているものであって、もしも危険を全く犯したくないのであれば、そもそも山になんて登るべきではないのです。
穂高での「1万分ノ2」というリスクをどう捉えてどう考えるべきなのか。
その数字だけでいうと、それはぼくを含めて「まさか自分が」というレベルです。
そんなもん自分がそんな貧乏くじを引くわけがない、と人間誰しもが思います。
でもそれは事故に遭った人も同じであったはず。
「まさか自分が」と。
そしてその方にとっては、その出来事は「1分ノ1」です。
昨年に相次いで大切な友人が山で逝ってしまって、ほんとうに多くのことを思ったし考えました。
それはずっとかたちを変えながら続いていて、例えば今ぼくがいちばん山で信用できないのは自分自身ということ。
彼や彼女でさえミスをしてしまったというのに、いわんや自分においておや、なのです。
今日、踏み出そうとするその一歩がほんとうに大丈夫かどうか、それを常に自分に問い続けなければいけないと思っています。
それはとても難しいことではありますけれど。
このたびお亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。
Comments: 2
- はたらき虫 URL 2016-07-22 Fri 10:41:23
“いわんや自分においておや” どこかで聞いた言葉に似ていますね
1万分の1、であれ10万分の一であっても、自分に降りかかれば10割です
心したいです
久しぶりに高い山の景色が見れました
夏山の新しいニュースを期待しています、お気をつけて頑張ってください- Hachiro URL 2016-07-20 Wed 03:58:28
> いつも読ませていただいております。
> 「1万分ノ2」はパーセント表記だと、0.02%ですね。
ご指摘ありがとうございます。
もともと数字に弱いモンがエラそーに記すものではありませんね。
訂正させていただきました。
ありがとうございました。