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2016年09月 Archive
紅葉
- 2016-09-30 Fri 17:48:19
- 穂高
まったくなんて秋だ。
これほど雨にたたられた秋もちょっとありません。
そして、ずっと前線へ南からの湿った空気が入り続けているせいか気温もなんだか下がりません。
いつもなら晴れた日の「キュン」とした朝方の放射冷却による冷え込みで初氷が張ったりするのですが、今日で9月も終わりだというのに、とうとう今月には「初氷」は見られませんでした。
例年だと、そろそろ雪が舞い始めてもいい頃なのに…
涸沢の紅葉も、その冷え込みによってスイッチが入り、秋の高気圧の燦々とした日射しを浴びて葉が色づくというのに、今年はそのスタートの号砲が鳴らず、木々たちもいつ装いを初めてよいやら戸惑った感じです。
つまり、今年は色づきがバラバラな感じで、彩りの足並みがそろっていない感じです。
まぁ、そうは言ってもかの「涸沢の紅葉」、青空さえ広がればこうした写真の一枚も撮れるというもの。
それに、その紅葉がキレイがどうかはそれを眺める人ひとりひとりが感じるべきものであって、見慣れた者が勝手に良いとか悪いとかを決めるべきものでもありません。
要は相手よりも、それをどう感じるかの自分のあり方のほうが大事なんちゃうか? ということなのでしょうか。

(2016/09/27 涸沢にて)
しかし、明日から10月だというのに、まだ前線や台風が幅をきかせそう。
今年の雪の便りはいつになるのやら……
でもそうは云っても、いまだかつて穂高が雪に覆われなかった冬はないのデス。
それぞれの人の想いや、世の出来事や、そうしたいっさいの芥(あくた)の瑣末を、やがてすべて消し去ってしまうような風雪が、穂高に訪れる日はそう遠くはないはずです。
……って、来週台風18号直撃かいっっ!!
これほど雨にたたられた秋もちょっとありません。
そして、ずっと前線へ南からの湿った空気が入り続けているせいか気温もなんだか下がりません。
いつもなら晴れた日の「キュン」とした朝方の放射冷却による冷え込みで初氷が張ったりするのですが、今日で9月も終わりだというのに、とうとう今月には「初氷」は見られませんでした。
例年だと、そろそろ雪が舞い始めてもいい頃なのに…
涸沢の紅葉も、その冷え込みによってスイッチが入り、秋の高気圧の燦々とした日射しを浴びて葉が色づくというのに、今年はそのスタートの号砲が鳴らず、木々たちもいつ装いを初めてよいやら戸惑った感じです。
つまり、今年は色づきがバラバラな感じで、彩りの足並みがそろっていない感じです。
まぁ、そうは言ってもかの「涸沢の紅葉」、青空さえ広がればこうした写真の一枚も撮れるというもの。
それに、その紅葉がキレイがどうかはそれを眺める人ひとりひとりが感じるべきものであって、見慣れた者が勝手に良いとか悪いとかを決めるべきものでもありません。
要は相手よりも、それをどう感じるかの自分のあり方のほうが大事なんちゃうか? ということなのでしょうか。

(2016/09/27 涸沢にて)
しかし、明日から10月だというのに、まだ前線や台風が幅をきかせそう。
今年の雪の便りはいつになるのやら……
でもそうは云っても、いまだかつて穂高が雪に覆われなかった冬はないのデス。
それぞれの人の想いや、世の出来事や、そうしたいっさいの芥(あくた)の瑣末を、やがてすべて消し去ってしまうような風雪が、穂高に訪れる日はそう遠くはないはずです。
……って、来週台風18号直撃かいっっ!!
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秋霖
- 2016-09-22 Thu 17:17:32
- 穂高
いや〜 よう降りますね……
かれこれもう10日ほどもまともな青空を拝めていない気がします。
長雨で登山道もあちらこちらが被害を受け(いずれもほぼ修復済)たりして困ったものです。
そろそろ色づき始めた涸沢の紅葉も、稜線からはずっとガスの厚い緞帳が下されたまま。
で、周囲で「小さな秋」を見つけてみました。

(2016/09/21 ミヤマダイコンソウと水滴)

(2016/09/21 色づくミヤマダイコンソウ)
今週末には紅葉も見頃が始まりそうです。
早く抜けるような秋空が広がらんもんかと、今日も灰色の窓を見ています。
かれこれもう10日ほどもまともな青空を拝めていない気がします。
長雨で登山道もあちらこちらが被害を受け(いずれもほぼ修復済)たりして困ったものです。
そろそろ色づき始めた涸沢の紅葉も、稜線からはずっとガスの厚い緞帳が下されたまま。
で、周囲で「小さな秋」を見つけてみました。

(2016/09/21 ミヤマダイコンソウと水滴)

(2016/09/21 色づくミヤマダイコンソウ)
今週末には紅葉も見頃が始まりそうです。
早く抜けるような秋空が広がらんもんかと、今日も灰色の窓を見ています。
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ザイテングラート
- 2016-09-10 Sat 14:40:11
- 穂高
警察庁が昨日、今年7〜8月の山岳遭難が660件・753人に上ったと発表しました。
統計の残る1968年以降で最多であるそうです。
そして穂高では、今月に入って立て続けに、もう3名もの方が亡くなられています。
しかもその発生場所は全て奥穂へのメインルートであるザイテングラートでです。
このことは岳沢小屋の坂本くんも記してくれています。

(2016/07/21 ドローンにて撮影)
赤丸がついているのが事故発生場所で、すべて下りでの滑落によるものでした。
最初に起きた9月2日の事故は、僕が個人的に通称「ハイマツコーナー」と呼んでいる場所であり、数年前まで死亡事故の絶えなかった場所です。
ちょうど90度方向を変える一見すると何でもない場所なのですが、ブッシュに覆われた片側はスッパリと切れ落ちていて「どうってことはないけれど、墜ちれば致命的」という地形です。
他の場所と比べて特別難しいとも思えないその場所で、なぜか毎年毎年命を失う方が後を絶たず、救助関係者も首をひねるばかりでした。
それを「こりゃあ、なんとかせなあかんやろ !?」ということで、3年前に岩場の上に石を組んで歩きやすくし、またクサリも設置したのです。
そこを通過するのにクサリが必要であるとは本当は思えなかったのですが、その場所が「危険箇所である」ということを示す意味であえて設置に踏み切りました。
僕個人としては、今以上に穂高にクサリやハシゴを増やすのは反対ですし、むしろすべて無くしてしまう方がいいのではないかくらいに思っています。
でもそうした個人の思いと、現実に自分が成すべき仕事とは別です。
そして幸いなことに、その処置工事以降その「ハイマツコーナー」での事故はピタリと無くなったのです。
なので内心僕は(「これぞ小屋番の、プロフェッショナルの仕事っちゅうもんやゾ ⁉︎」)とひとり悦に入っていたのです。
ところが今回とうとうその場所で事故が起きてしまいました。
他の場所ではともかく、もうあの「ハイマツコーナー」では墜ちようにも墜ちられんやろう、くらい思っていたので、
……なんというか、猛烈にショックです。
そして2件目の9月6日の事故では、お亡くなりになった方の収容作業にあたりました。
雨の中を息急き切って駆けつけた先に、すでに亡骸となってしまっている方を見つけたときの虚脱感は、いつもながらやりきれません。
穂高に永く身をおいていると、死は嘘のように身近にあるし、それが突然訪れることも、どんなにあっさり訪れるのかも知るようになってしまいます。
いくら遭難現場の経験を積み、事故発生や救助作業そのものに慣れることはあっても、死そのものに慣れるということはありません。
死はいつだって悲しいし、無力感に満ち、言葉もわいてこないものです。
ただただ、お亡くなりになった方へ心の中で掌をあわせながら、濡れたカッパを引きずるように重い足取りで仲間たちと小屋へともどりました。

(2016/09/06 ザイテンでの救助活動中の長野県警ヘリ「やまびこ1号」)
昨日収容された方は、状況から判断するに事故後数日が経過していた模様です。
おそらく9月7日に涸沢から奥穂ピストンの帰りにあずき沢へ滑落したものと思われます。
やりきれないことに、この方の死因は外傷ではなく低体温症とのこと。
つまり滑落後しばらくは生存していたようなのです。
ところがあの日は台風が接近中だったため登山者の姿は極端に少なく、事故の目撃者はありませんでした。
もしもその方が単独ではなく、また何らかのSOSの手立てがあったならと悔やまれます
わずか1週間たらずの間にいったいなぜ?
そう思わずにはいられません。
たしかに今までもある特定の場所で事故が連続したことはあります。
我々山の人間は、そうしたことを「誰かが呼ぶ」とか「あの場所は呼ばれてる」とかオカルトめいたことを口にすることはあります。
実際に何件も事故のあった所の下の雪渓にオロク(遺体)があったなんてこともあるにはありました。
でも、今回は同じザイテンとはいえ実際の場所はさまざまです。
共通しているのはいずれもが下山中であったということと高齢者(おひとりは僕と同じ50代ですからこう記すにはちょっと抵抗ありますけれど)であったということ。
あえてひとつ外的要因を考えるとするなら、今年の残雪の少なさと多雨傾向は挙げられるかもしれません。
早い時期に雪が消えてしまったことによって、登山道が雨にさらされる時間が今年は長く、したがって脆くなっている場所が多い、ということです。
でも実際の感じとしては、ひと夏を越した現在では例年と比べて状況がそう特別であるとはあまり思えません。
やはり遭難がこれだけ多いということの原因は、山ではなくて人間の側にあると考えるのが正しいのでしょう。
先週も今週も、週末になると好天に恵まれているためか、今日も小屋は登山者で賑わっています。
どうか、明日みなさんが踏み出すその一歩に、おひとりおひとりがご自分の命をかけた注意を注いでいただきたいと思うのです。
統計の残る1968年以降で最多であるそうです。
そして穂高では、今月に入って立て続けに、もう3名もの方が亡くなられています。
しかもその発生場所は全て奥穂へのメインルートであるザイテングラートでです。
このことは岳沢小屋の坂本くんも記してくれています。

(2016/07/21 ドローンにて撮影)
赤丸がついているのが事故発生場所で、すべて下りでの滑落によるものでした。
最初に起きた9月2日の事故は、僕が個人的に通称「ハイマツコーナー」と呼んでいる場所であり、数年前まで死亡事故の絶えなかった場所です。
ちょうど90度方向を変える一見すると何でもない場所なのですが、ブッシュに覆われた片側はスッパリと切れ落ちていて「どうってことはないけれど、墜ちれば致命的」という地形です。
他の場所と比べて特別難しいとも思えないその場所で、なぜか毎年毎年命を失う方が後を絶たず、救助関係者も首をひねるばかりでした。
それを「こりゃあ、なんとかせなあかんやろ !?」ということで、3年前に岩場の上に石を組んで歩きやすくし、またクサリも設置したのです。
そこを通過するのにクサリが必要であるとは本当は思えなかったのですが、その場所が「危険箇所である」ということを示す意味であえて設置に踏み切りました。
僕個人としては、今以上に穂高にクサリやハシゴを増やすのは反対ですし、むしろすべて無くしてしまう方がいいのではないかくらいに思っています。
でもそうした個人の思いと、現実に自分が成すべき仕事とは別です。
そして幸いなことに、その処置工事以降その「ハイマツコーナー」での事故はピタリと無くなったのです。
なので内心僕は(「これぞ小屋番の、プロフェッショナルの仕事っちゅうもんやゾ ⁉︎」)とひとり悦に入っていたのです。
ところが今回とうとうその場所で事故が起きてしまいました。
他の場所ではともかく、もうあの「ハイマツコーナー」では墜ちようにも墜ちられんやろう、くらい思っていたので、
……なんというか、猛烈にショックです。
そして2件目の9月6日の事故では、お亡くなりになった方の収容作業にあたりました。
雨の中を息急き切って駆けつけた先に、すでに亡骸となってしまっている方を見つけたときの虚脱感は、いつもながらやりきれません。
穂高に永く身をおいていると、死は嘘のように身近にあるし、それが突然訪れることも、どんなにあっさり訪れるのかも知るようになってしまいます。
いくら遭難現場の経験を積み、事故発生や救助作業そのものに慣れることはあっても、死そのものに慣れるということはありません。
死はいつだって悲しいし、無力感に満ち、言葉もわいてこないものです。
ただただ、お亡くなりになった方へ心の中で掌をあわせながら、濡れたカッパを引きずるように重い足取りで仲間たちと小屋へともどりました。

(2016/09/06 ザイテンでの救助活動中の長野県警ヘリ「やまびこ1号」)
昨日収容された方は、状況から判断するに事故後数日が経過していた模様です。
おそらく9月7日に涸沢から奥穂ピストンの帰りにあずき沢へ滑落したものと思われます。
やりきれないことに、この方の死因は外傷ではなく低体温症とのこと。
つまり滑落後しばらくは生存していたようなのです。
ところがあの日は台風が接近中だったため登山者の姿は極端に少なく、事故の目撃者はありませんでした。
もしもその方が単独ではなく、また何らかのSOSの手立てがあったならと悔やまれます
わずか1週間たらずの間にいったいなぜ?
そう思わずにはいられません。
たしかに今までもある特定の場所で事故が連続したことはあります。
我々山の人間は、そうしたことを「誰かが呼ぶ」とか「あの場所は呼ばれてる」とかオカルトめいたことを口にすることはあります。
実際に何件も事故のあった所の下の雪渓にオロク(遺体)があったなんてこともあるにはありました。
でも、今回は同じザイテンとはいえ実際の場所はさまざまです。
共通しているのはいずれもが下山中であったということと高齢者(おひとりは僕と同じ50代ですからこう記すにはちょっと抵抗ありますけれど)であったということ。
あえてひとつ外的要因を考えるとするなら、今年の残雪の少なさと多雨傾向は挙げられるかもしれません。
早い時期に雪が消えてしまったことによって、登山道が雨にさらされる時間が今年は長く、したがって脆くなっている場所が多い、ということです。
でも実際の感じとしては、ひと夏を越した現在では例年と比べて状況がそう特別であるとはあまり思えません。
やはり遭難がこれだけ多いということの原因は、山ではなくて人間の側にあると考えるのが正しいのでしょう。
先週も今週も、週末になると好天に恵まれているためか、今日も小屋は登山者で賑わっています。
どうか、明日みなさんが踏み出すその一歩に、おひとりおひとりがご自分の命をかけた注意を注いでいただきたいと思うのです。
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いのちの眼差し
- 2016-09-08 Thu 20:45:39
- 穂高
一昨日はザイテンで死亡事故があり、昨日、今日は終日ガスと雨。
そんな滅入ってしまうような中、撮りためている映像の整理をしていたところ先日撮影した中のこんな素材を見つけました。

(2016/08/28 ライチョウー母鳥《4K撮影動画より》)

(2016/08/28 ライチョウー親子《4K撮影動画より》)
もう母鳥と変わらない大きさにまで成長したライチョウの雛たちです。
身体は大きくても鳴き声はまだ「ピヨピヨ」と幼く、それが母鳥の周囲をウロウロする様子は見ていてとても微笑ましいものでした。
そしてなんと、その雛たちは確認できたものだけで5羽もいたのです!
ライチョウの母鳥が、この時期に5羽もの雛を連れているのはかなり珍しく、ふつうは1〜2羽です。
ライチョウは通常5〜6羽の雛が孵るといいますが、標高3000mの過酷な自然の中でその雛たちが夏をこえて無事に成長するのはとても難しいのです。
まして近年は温暖化の影響か天候不順の夏が多く、また今までは稜線では見なかったサルなどの天敵も増えてきていて、ライチョウを取り巻く環境は悪化の一途をたどっています。
事実、今年は春先から彼等の姿を目にすることが少なく、その生態に重大な影響が出ているのではと懸念していました。
だから、そのファミリーがたくましく生きぬいてくれている姿は嬉しかったし、なんだか自分もがんばらなアカンなぁと元気をもらいました。

(2015年撮影の4K動画よりー7月中旬、生まれたての雛と母鳥)

(2015年撮影の4K動画よりー7月中旬、生後間もない雛)
生まれたての雛はとても愛らしく、でもあんなちっぽけなやつがほんまに育つんかと心配にもなります。
それが、かくも過酷な環境の中で生き抜いていてくれて、立派に大きくなってくれていた姿にはとても感動しました。

(2016/08/04 西穂稜線にて 育ちゆく雛と母鳥)
ところで、ライチョウは春先のナワバリ形成期から夏前の抱卵期までは、メスをかいがいしく守るオスの姿が目立ちますが、雛が孵ったとたんオスはどこかに姿を消してしまいます。
そしてあろうことかライチョウの子育ては、夏の間にもっぱらメスだけが行うのです。
だから雛を抱えたメスの、常に周囲に警戒を怠らない毅然とした姿と、命がけで我が子たちを守ろうとする健気さには心打たれます。
そしてなんだか身につまされてもしまう。
その母親の強さのようなものを感じるにつけ、男の勝手なリクツで好き放題してきた我が身を恥じずにはいられなくなってしまうのデス。
だから母ライチョウの眼差しはどこか哀しい。
それは、家族をほったらかしにしてどこかへ行ってしまった亭主を思ってか(…たぶん違うナ)、来たるべき厳しい季節へと我が子の行く末への憂いなのか、それはもうなんともいえぬ眼をしております。
それはまぎれもなく、そのいのちを精一杯に生きようとする、けなげでたくましい野生そのものの眼でもあります。

(2016/08/28 ライチョウー母鳥《4K撮影動画より》)
遥か氷河の時代に日本にやってきて、寒冷な時期が去った今の時代までかろうじて生き永らえてきた『ライチョウ』
今日我々が、日本アルプスでライチョウの姿を目にすることが出来るのは、さまざまな条件や状況からいって《奇跡》といっていいことなのです。
どうかこの《奇跡》が、少しでも永くあることを祈らずにはいられません。
そんな滅入ってしまうような中、撮りためている映像の整理をしていたところ先日撮影した中のこんな素材を見つけました。

(2016/08/28 ライチョウー母鳥《4K撮影動画より》)

(2016/08/28 ライチョウー親子《4K撮影動画より》)
もう母鳥と変わらない大きさにまで成長したライチョウの雛たちです。
身体は大きくても鳴き声はまだ「ピヨピヨ」と幼く、それが母鳥の周囲をウロウロする様子は見ていてとても微笑ましいものでした。
そしてなんと、その雛たちは確認できたものだけで5羽もいたのです!
ライチョウの母鳥が、この時期に5羽もの雛を連れているのはかなり珍しく、ふつうは1〜2羽です。
ライチョウは通常5〜6羽の雛が孵るといいますが、標高3000mの過酷な自然の中でその雛たちが夏をこえて無事に成長するのはとても難しいのです。
まして近年は温暖化の影響か天候不順の夏が多く、また今までは稜線では見なかったサルなどの天敵も増えてきていて、ライチョウを取り巻く環境は悪化の一途をたどっています。
事実、今年は春先から彼等の姿を目にすることが少なく、その生態に重大な影響が出ているのではと懸念していました。
だから、そのファミリーがたくましく生きぬいてくれている姿は嬉しかったし、なんだか自分もがんばらなアカンなぁと元気をもらいました。

(2015年撮影の4K動画よりー7月中旬、生まれたての雛と母鳥)

(2015年撮影の4K動画よりー7月中旬、生後間もない雛)
生まれたての雛はとても愛らしく、でもあんなちっぽけなやつがほんまに育つんかと心配にもなります。
それが、かくも過酷な環境の中で生き抜いていてくれて、立派に大きくなってくれていた姿にはとても感動しました。

(2016/08/04 西穂稜線にて 育ちゆく雛と母鳥)
ところで、ライチョウは春先のナワバリ形成期から夏前の抱卵期までは、メスをかいがいしく守るオスの姿が目立ちますが、雛が孵ったとたんオスはどこかに姿を消してしまいます。
そしてあろうことかライチョウの子育ては、夏の間にもっぱらメスだけが行うのです。
だから雛を抱えたメスの、常に周囲に警戒を怠らない毅然とした姿と、命がけで我が子たちを守ろうとする健気さには心打たれます。
そしてなんだか身につまされてもしまう。
その母親の強さのようなものを感じるにつけ、男の勝手なリクツで好き放題してきた我が身を恥じずにはいられなくなってしまうのデス。
だから母ライチョウの眼差しはどこか哀しい。
それは、家族をほったらかしにしてどこかへ行ってしまった亭主を思ってか(…たぶん違うナ)、来たるべき厳しい季節へと我が子の行く末への憂いなのか、それはもうなんともいえぬ眼をしております。
それはまぎれもなく、そのいのちを精一杯に生きようとする、けなげでたくましい野生そのものの眼でもあります。

(2016/08/28 ライチョウー母鳥《4K撮影動画より》)
遥か氷河の時代に日本にやってきて、寒冷な時期が去った今の時代までかろうじて生き永らえてきた『ライチョウ』
今日我々が、日本アルプスでライチョウの姿を目にすることが出来るのは、さまざまな条件や状況からいって《奇跡》といっていいことなのです。
どうかこの《奇跡》が、少しでも永くあることを祈らずにはいられません。
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