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2015年03月 Archive
巣立ち
- 2015-03-29 Sun 20:47:41
- 穂高
桜の便りがあちこちから聞こえてきて東京はもう満開、高校野球のセンバツも佳境、そしてプロ野球も開幕と、まさに春たけなわな今日この頃。
だというのに先日は性懲りもなくまだこんなコトをしていました。

(2014/03/27 上高地・中千丈沢「Z(ゼット)」)
これで今冬はほぼ毎週アイスクライミングをしたことになります。
(ある人曰く「はっちゃんのは『クライミング』っていうより『土木工事』って感じだねぇ〜」とか…)
もちろん氷登りは個人的な遊びではあるのですが、こうして常日頃からハーネスをつけてロープを触っておくことは小屋番としての仕事にちょっとは役立つんちゃうかな〜 なんて、
ま、そんな都合のいい言い訳はともかく、こうして体力維持に努めていないとイザというとき動けんしなぁとは思っていたのデス。
かれこれ半世紀も生きてくると身体のあちこちの劣化は避けられず、少しでもその衰えを食い止めようとのささやかな抵抗ってところでしょうか。
さて、このブログは主に穂高や登山についてのもので、あまり個人的なことは書かないようにしてきたのですが今日はちょっと記したいことが、、、
ぼくには4人の娘がおります。
その末娘が明日わが家から大学進学のために巣立ちます。
思えば25年前に所帯を持って飛騨神岡に居を構え、
なぜか知らんうちにいつの間にか家族は6人と犬一匹になっておりました。
一年の半分以上を穂高の小屋番として家を空け、
冬は冬で好き放題やっていた(ん? 過去形か!?)ぼくは家庭人としてはまったくの極道モンなわけですが、
その4人の子育てをうちの嫁はんはほんとうに見事にやってのけてくれました。
まぁ言ってみれば「わが家の暮らし」という岩壁は、嫁はんがその全ピッチをリードし、ぼくは上から垂れたロープにしがみついて登ったに過ぎへんなぁ と。
やがて飛騨の地から大学へ進学となると子どもは当然家を出ることになります。
長女、次女は大学、三女は専門学校へと、ひとりまたひとりとわが家から巣立ってゆきました。
そして明日とうとう末の娘も巣立ちを迎えます。
思えば必死で夢中で過ぎた25年でした。
んで、今朝のランニングの時ちょっと思うところがあって、
河島英五の「野風僧」、松山千春「旅立ち」、BEGIN「この街はなれて」、森山直太朗「さくら」、井上陽水「決められたリズム」、さだまさし「娘へ」「親父の一番長い日」…とか聴きながら走ったんです。
そしたらなんか途中で突然に涙が溢れ出してしまって…
どうにも止まらない涙とずるずるの鼻水でぐちゃぐちゃになったアラフィフのはげのおっさんがハアハアゼイゼイ走っとる図、
なんていうのはかなり凄惨でヤバい感じであったに違いありません。
幸い早朝で目撃者もほとんどいなかったはずなのですが、もしも気持ち悪い思いをさせてしまった方がおられましたら申し訳なかったなあと。

思えばこの山のように仲睦まじい四姉妹たれと願ったものでした。
もともとぼくも嫁はんも、自立するのに経済的な後ろ盾はありませんでした。
その中でふたりで家族を始めてやってきていたので、
「子ども達が巣立ったら、宮田サン家は『解散!』でええやん?」とうそぶいてもいました。
でも今はまだもう少し「帰って来れる場所」を守っとってやろうかとも思っています。
なので今しばらくは穂高でがんばらせてもらおうかと。
思えばぼくは、仕事も、嫁はんも、家庭も、仲間も、生きがいも… つまりは自分の人生そのものを穂高から与えられてきました。
それはひとえに今田英雄さん敏子さん夫妻のご加護によるものだったし、かけがえのない仲間たちや友人たちに支えていただいたからにほかなりません。
今ほんとうにつくづくと抱く想いは「感謝」です。
なので何か穂高への恩返しは出来ないもんかと願うのです。
今年シーズン、たぶんきっと誰も気づきはしないかもしれないけれど、
ザイテングラードをほんの少し安全に歩けるように、
白出沢の石の道をもう少し歩きやすいように、
北穂へのクサリの支点のいくつかを強固なものに、
奥穂への浮き石を出来るだけ落としたい、
吊尾根のマーキングをもっと明瞭に…
そうして考えてると思い至るのは、(涸沢)ヒュッテや(涸沢)小屋や北穂や岳沢の小屋番たち皆が、あるいは涸沢の常駐隊のみんなや岐阜・長野の両県警の隊員が、それぞれに人知れず穂高を支えてるんやということ。
それぞれがそれぞれの役割を担ってる。
…なんや、それってつまりはオレらが生きてるこの世の中そのもんやん。
毎朝新聞を届けてくれる人、
美味しいパンを焼いてくれる人、
汚れた歩道をきれいにしてくれる人、
ぎょうさんのもんを毎日コンビニに届けてくれる人、
心地よい音楽をラジオで届けてくれる人、
パソコンがもっと快適になるよう開発に勤しむ人、
美味い酒をつくってくれる人、
雪に負けない家を建てる人、
どうしよもない歯の痛みをなんとかしてくれる人、
泣きわめいてる子どもの面倒を見てくれる人、
おいしい野菜を作ろうと雪解けの土を耕す人、
花見の後のゴミを片づける人、
毎朝決まった時間に電車を走らせる人、
犬のうんこをゴミ袋にひろう人、
アマゾンの荷物を玄関まで届けてくれる人、
明日の試合に勝とうとデータを分析する人、
原稿を何とかしようと徹夜する人、
信じるもののために銃を持つ人、
………
そんなささやかな名もない人々の営みでこの世は支えられているわけで、
決してエラそうなことをいうだけの誰かのおかげではない。
いつの間にか社会人となった上3人の娘たちは、
それぞれにしんどいこともあろうけれど、街で懸命に生きてくれています。
その姿にぼくの方が励まされることも増えました。
よぉーし!
今年もがんばるぞぉぉぉ
と、杯をかたむけながらひとり気合をいれる春の夜なわけです。
なんか何書いてるのかわけわからんようになってきた
このブログを記すのに自分に課したいくつかがあって、
「プライベートは書かない」「酒飲んでは書かない」というのがあるのですが…
あらら。
今宵はそのどちらも反古にしてしまったようで……
だというのに先日は性懲りもなくまだこんなコトをしていました。

(2014/03/27 上高地・中千丈沢「Z(ゼット)」)
これで今冬はほぼ毎週アイスクライミングをしたことになります。
(ある人曰く「はっちゃんのは『クライミング』っていうより『土木工事』って感じだねぇ〜」とか…)
もちろん氷登りは個人的な遊びではあるのですが、こうして常日頃からハーネスをつけてロープを触っておくことは小屋番としての仕事にちょっとは役立つんちゃうかな〜 なんて、
ま、そんな都合のいい言い訳はともかく、こうして体力維持に努めていないとイザというとき動けんしなぁとは思っていたのデス。
かれこれ半世紀も生きてくると身体のあちこちの劣化は避けられず、少しでもその衰えを食い止めようとのささやかな抵抗ってところでしょうか。
さて、このブログは主に穂高や登山についてのもので、あまり個人的なことは書かないようにしてきたのですが今日はちょっと記したいことが、、、
ぼくには4人の娘がおります。
その末娘が明日わが家から大学進学のために巣立ちます。
思えば25年前に所帯を持って飛騨神岡に居を構え、
なぜか知らんうちにいつの間にか家族は6人と犬一匹になっておりました。
一年の半分以上を穂高の小屋番として家を空け、
冬は冬で好き放題やっていた(ん? 過去形か!?)ぼくは家庭人としてはまったくの極道モンなわけですが、
その4人の子育てをうちの嫁はんはほんとうに見事にやってのけてくれました。
まぁ言ってみれば「わが家の暮らし」という岩壁は、嫁はんがその全ピッチをリードし、ぼくは上から垂れたロープにしがみついて登ったに過ぎへんなぁ と。
やがて飛騨の地から大学へ進学となると子どもは当然家を出ることになります。
長女、次女は大学、三女は専門学校へと、ひとりまたひとりとわが家から巣立ってゆきました。
そして明日とうとう末の娘も巣立ちを迎えます。
思えば必死で夢中で過ぎた25年でした。
んで、今朝のランニングの時ちょっと思うところがあって、
河島英五の「野風僧」、松山千春「旅立ち」、BEGIN「この街はなれて」、森山直太朗「さくら」、井上陽水「決められたリズム」、さだまさし「娘へ」「親父の一番長い日」…とか聴きながら走ったんです。
そしたらなんか途中で突然に涙が溢れ出してしまって…
どうにも止まらない涙とずるずるの鼻水でぐちゃぐちゃになったアラフィフのはげのおっさんがハアハアゼイゼイ走っとる図、
なんていうのはかなり凄惨でヤバい感じであったに違いありません。
幸い早朝で目撃者もほとんどいなかったはずなのですが、もしも気持ち悪い思いをさせてしまった方がおられましたら申し訳なかったなあと。

思えばこの山のように仲睦まじい四姉妹たれと願ったものでした。
もともとぼくも嫁はんも、自立するのに経済的な後ろ盾はありませんでした。
その中でふたりで家族を始めてやってきていたので、
「子ども達が巣立ったら、宮田サン家は『解散!』でええやん?」とうそぶいてもいました。
でも今はまだもう少し「帰って来れる場所」を守っとってやろうかとも思っています。
なので今しばらくは穂高でがんばらせてもらおうかと。
思えばぼくは、仕事も、嫁はんも、家庭も、仲間も、生きがいも… つまりは自分の人生そのものを穂高から与えられてきました。
それはひとえに今田英雄さん敏子さん夫妻のご加護によるものだったし、かけがえのない仲間たちや友人たちに支えていただいたからにほかなりません。
今ほんとうにつくづくと抱く想いは「感謝」です。
なので何か穂高への恩返しは出来ないもんかと願うのです。
今年シーズン、たぶんきっと誰も気づきはしないかもしれないけれど、
ザイテングラードをほんの少し安全に歩けるように、
白出沢の石の道をもう少し歩きやすいように、
北穂へのクサリの支点のいくつかを強固なものに、
奥穂への浮き石を出来るだけ落としたい、
吊尾根のマーキングをもっと明瞭に…
そうして考えてると思い至るのは、(涸沢)ヒュッテや(涸沢)小屋や北穂や岳沢の小屋番たち皆が、あるいは涸沢の常駐隊のみんなや岐阜・長野の両県警の隊員が、それぞれに人知れず穂高を支えてるんやということ。
それぞれがそれぞれの役割を担ってる。
…なんや、それってつまりはオレらが生きてるこの世の中そのもんやん。
毎朝新聞を届けてくれる人、
美味しいパンを焼いてくれる人、
汚れた歩道をきれいにしてくれる人、
ぎょうさんのもんを毎日コンビニに届けてくれる人、
心地よい音楽をラジオで届けてくれる人、
パソコンがもっと快適になるよう開発に勤しむ人、
美味い酒をつくってくれる人、
雪に負けない家を建てる人、
どうしよもない歯の痛みをなんとかしてくれる人、
泣きわめいてる子どもの面倒を見てくれる人、
おいしい野菜を作ろうと雪解けの土を耕す人、
花見の後のゴミを片づける人、
毎朝決まった時間に電車を走らせる人、
犬のうんこをゴミ袋にひろう人、
アマゾンの荷物を玄関まで届けてくれる人、
明日の試合に勝とうとデータを分析する人、
原稿を何とかしようと徹夜する人、
信じるもののために銃を持つ人、
………
そんなささやかな名もない人々の営みでこの世は支えられているわけで、
決してエラそうなことをいうだけの誰かのおかげではない。
いつの間にか社会人となった上3人の娘たちは、
それぞれにしんどいこともあろうけれど、街で懸命に生きてくれています。
その姿にぼくの方が励まされることも増えました。
よぉーし!
今年もがんばるぞぉぉぉ
と、杯をかたむけながらひとり気合をいれる春の夜なわけです。
なんか何書いてるのかわけわからんようになってきた
このブログを記すのに自分に課したいくつかがあって、
「プライベートは書かない」「酒飲んでは書かない」というのがあるのですが…
あらら。
今宵はそのどちらも反古にしてしまったようで……
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上高地早春
- 2015-03-17 Tue 06:30:55
- 穂高
先週は上高地へ幾度か足を運びました。
今年は雪が多いなぁという感じです。
早春の上高地は悪天となると吹雪いたりもして冬の名残がまだ強いですが、
注意深く見るとそこここに春の兆しを見つけることが出来ました。

(2015/03/16 上高地・小梨平にて)
動画はこちら、
もう今年の小屋開けまでひと月です。
今年は雪が多いなぁという感じです。
早春の上高地は悪天となると吹雪いたりもして冬の名残がまだ強いですが、
注意深く見るとそこここに春の兆しを見つけることが出来ました。

(2015/03/16 上高地・小梨平にて)
動画はこちら、
上高地早春 from Hachi Production on Vimeo.
もう今年の小屋開けまでひと月です。
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