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2011年03月 Archive
巣立ち
- 2011-03-26 Sat 22:44:27
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今日、次女が大学進学で家を巣立っていった。
四人いた娘のうち半分がいなくなった家の中はなんとなくガランとしている。
たった二人でこうなのだから、
震災で家族を失った方々の喪失感は察するにあまりある。
死者が一万人を超えたそうだが、
そんな「数」の死なんて想像することは出来ない。
私たちが受け止めることのできる悲しみや苦しみはきっと限られていて、
そんなアホみたいな数は、ただの数字にしか感じられない。
ひとり、ひとり、みんなそれぞれがたったひとつの「生」だ。
(「監督のつぶやき 余震のただ中で-2-」 参照)
それが「数」として報じられてしまうと、
それが一万であれ百万であれ、感情の深いところに届くことはなくなってしまう。
でももしも、
僕の知る「あなた」がこの世からいなくなってしまったなら、
僕は自分の存在をかけてその死を悼む。
今夜は、
中島みゆきの「永久欠番」という曲を、こんな時だから、聴いている。
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carry on
- 2011-03-25 Fri 07:53:27
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carry on 【キャリーオン;継続する、頑張り抜く、持ちこたえる】
今朝の新聞で紹介されていた言葉で、
クラブトンの『ティアーズ・イン・ヘブン』の歌詞にもあるそうです。
日本語の「がんばろう」よりも少し含まれる意味が多いようで、
僕の好きな「ぼちぼちと…」のニュアンスもあるみたい。
いまの「非常」がやがて「日常」として暮らしてゆけるのには、
まるで上高地から見上げる穂高の頂のように彼方に思えてしまう。
でも一歩一歩小さくても確実に足を前へ出し続けてゆけば、
いずれかならず、あの頂にたどり着けることを僕たちは知っています。
Carry on, Japan
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岳援隊
- 2011-03-24 Thu 20:22:11
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穂高岳山荘スタッフ有志によるボランティアチーム「岳援隊」(がくえんたい)が発足。
あれこれとミーティングを行う。
「やれること」の範囲をほんの少し広げてみようよ と。
みんな、想いは熱い。
あれこれとミーティングを行う。
「やれること」の範囲をほんの少し広げてみようよ と。
みんな、想いは熱い。
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帰宅
- 2011-03-20 Sun 23:51:34
- 未分類
今日は帰宅が深夜になった。
それでも我が家の “じゃん” は、
ちぎれそうなほど尻尾をふって「おかえり、おかえり」と迎えてくれる。
避難所の片隅には何頭もの犬がつながれていた。
みんな怯えて悲しそうな眼をしていた。

それでも我が家の “じゃん” は、
ちぎれそうなほど尻尾をふって「おかえり、おかえり」と迎えてくれる。
避難所の片隅には何頭もの犬がつながれていた。
みんな怯えて悲しそうな眼をしていた。

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祈り (3)
- 2011-03-19 Sat 07:35:24
- 未分類
昨日の朝、生まれたばかりの映像です。
伊勢真一監督と息子さんの朋矢君が徹夜で編集してくださいました。
昨夜の四日市「メリーゴーランド」での「風のかたち」の上映会で披露されました。
今日は伊勢の「進富座」で上映予定です。
「サトロ ~被災地からの歌声~」
2011年3月11日 東北地方を襲った大地震。そして津波。
宮城県亘理町。この海沿いの町に暮らすミュージシャン、苫米地サトロの安否を確かめに、
岐阜県飛騨市神岡から宮田八郎カメラマンが単身乗り込んだ。
これはそのときの記録だ。
震災後、宮田とともに初めて自分の家を訪れたサトロ。
映像は、現地に流れる空気のようなものを伝えている。
サトロの歌声をたくさんの人に聴いてもらいたい…
撮れたてでとびっきりの、被災地からの便りです。
制作 いせフィルム ハチプロダクション
僕は現地へ足を運ぶときにサトロを「撮る」というのはまったく考えてなかったのですが、
無事を知らせた伊勢監督から、出来れば撮ってくれ と。
震災当日から、ほとんどまともに寝ていないサトロだったけれど快く歌ってくれた。
歌うことで少しは彼自身も落ち着けたのかも知れない。
きっとヤツは今この瞬間も、避難所の人々を少しでも助けようとして奮闘しています。
伊勢真一監督と息子さんの朋矢君が徹夜で編集してくださいました。
昨夜の四日市「メリーゴーランド」での「風のかたち」の上映会で披露されました。
今日は伊勢の「進富座」で上映予定です。
「サトロ ~被災地からの歌声~」
2011年3月11日 東北地方を襲った大地震。そして津波。
宮城県亘理町。この海沿いの町に暮らすミュージシャン、苫米地サトロの安否を確かめに、
岐阜県飛騨市神岡から宮田八郎カメラマンが単身乗り込んだ。
これはそのときの記録だ。
震災後、宮田とともに初めて自分の家を訪れたサトロ。
映像は、現地に流れる空気のようなものを伝えている。
サトロの歌声をたくさんの人に聴いてもらいたい…
撮れたてでとびっきりの、被災地からの便りです。
制作 いせフィルム ハチプロダクション
僕は現地へ足を運ぶときにサトロを「撮る」というのはまったく考えてなかったのですが、
無事を知らせた伊勢監督から、出来れば撮ってくれ と。
震災当日から、ほとんどまともに寝ていないサトロだったけれど快く歌ってくれた。
歌うことで少しは彼自身も落ち着けたのかも知れない。
きっとヤツは今この瞬間も、避難所の人々を少しでも助けようとして奮闘しています。
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