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2010年10月 Archive
あれれ?
- 2010-10-27 Wed 12:16:59
- 未分類
雪… 降りませんでした。
昨日は各地で木枯らしとか初雪のニュースが聞かれて、
当然、穂高でも初冠雪か! と思いきや、ぜんぜん降らず。
寒気の入り方とかの関係だったのか、こんなこともあるのですね。
で、今朝はご覧のとおりの秋晴れです。

笠ヶ岳はうっすら白いのに穂高は真っ黒け。

でも、さすがに今朝は冷え込んでマイナス8℃まで気温が下がりました。
さて昨日の夕方、急にガスが切れはじめて、慌てて奥穂へ。
…正解! ジャンが良かったです。
久しぶりの指先が凍える感覚もそっちのけ、夢中で撮影しました。

間違い尾根より

奥穂山頂より
今年は雪を踏まずに下山かな。
昨日は各地で木枯らしとか初雪のニュースが聞かれて、
当然、穂高でも初冠雪か! と思いきや、ぜんぜん降らず。
寒気の入り方とかの関係だったのか、こんなこともあるのですね。
で、今朝はご覧のとおりの秋晴れです。

笠ヶ岳はうっすら白いのに穂高は真っ黒け。

でも、さすがに今朝は冷え込んでマイナス8℃まで気温が下がりました。
さて昨日の夕方、急にガスが切れはじめて、慌てて奥穂へ。
…正解! ジャンが良かったです。
久しぶりの指先が凍える感覚もそっちのけ、夢中で撮影しました。

間違い尾根より

奥穂山頂より
今年は雪を踏まずに下山かな。
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山のてっぺんから
- 2010-10-26 Tue 07:53:51
- 未分類
なぜ「山」だったのか?
いくつか思うに、
幼いころから“遠いところ”が見わたせる高いところが好きでした。
神戸で育った僕は、
高台から見える海の向こうの山並みを、
じいちゃんから「あれがアメリカや…」と教えられ、
そう信じていました(ほんとうは紀州の山々です)。
そんな彼方への憧れや好奇心、
何より遠くが見わたせたときの気持ちのよさ。
だから「山」だったのかも知れません。
でも、新宿の高層ビルから眺める街なみなんかもけっこう好きですけれど。
さて、気持ちのよい秋晴れのとある日、
奥穂のてっぺんをひとりじめするのはとても贅沢な気持ちでした。
それを少しだけでもお裾分けできればと思い、
こんな動画を作ってみました。
もうじき小屋閉め。
今年は11月4日までの営業で、5日にはスタッフ全員下山します。
機材のほとんどを今月末のヘリで下ろしてしまいますので、
山から映像をお届けできるのは今回が今シーズン最後となりそう。
(何とか雪の映像もご覧いただきたいのですが)
今日は寒気が入ってきて雪となる予報。
早よいっぱいふれ…
いくつか思うに、
幼いころから“遠いところ”が見わたせる高いところが好きでした。
神戸で育った僕は、
高台から見える海の向こうの山並みを、
じいちゃんから「あれがアメリカや…」と教えられ、
そう信じていました(ほんとうは紀州の山々です)。
そんな彼方への憧れや好奇心、
何より遠くが見わたせたときの気持ちのよさ。
だから「山」だったのかも知れません。
でも、新宿の高層ビルから眺める街なみなんかもけっこう好きですけれど。
さて、気持ちのよい秋晴れのとある日、
奥穂のてっぺんをひとりじめするのはとても贅沢な気持ちでした。
それを少しだけでもお裾分けできればと思い、
こんな動画を作ってみました。
もうじき小屋閉め。
今年は11月4日までの営業で、5日にはスタッフ全員下山します。
機材のほとんどを今月末のヘリで下ろしてしまいますので、
山から映像をお届けできるのは今回が今シーズン最後となりそう。
(何とか雪の映像もご覧いただきたいのですが)
今日は寒気が入ってきて雪となる予報。
早よいっぱいふれ…
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月のあかり
- 2010-10-23 Sat 05:24:17
- 未分類
寝床からふと窓を眺めると、外がいやに明るい。
あれぇ、雪でも積もったかなぁ と見てみると、月のあかりでした。
…そっかぁ、今日は満月。
明け方の空には冬の星座オリオンやシリウスがもうこんなに高く輝いていました。

そういえば、李白の詩で「静夜を思ひ」ってのがあったっけか、
牀前看月光/疑是地上霜/挙頭望山月/低頭思故郷
牀前(しょうぜん)月光を看(み)る
疑ふらくは是れ地上の霜かと
頭(こうべ)を上げて山月を望み
頭(こうべ)を低れて故郷を思ふ
まさしく、そんな月夜でした。
それにしても今年は雪が遅い。
何度か舞ってはいるけれど、未だ積もるには至らず。
来週は寒くなるそうなので初冠雪となるかも。
あれぇ、雪でも積もったかなぁ と見てみると、月のあかりでした。
…そっかぁ、今日は満月。
明け方の空には冬の星座オリオンやシリウスがもうこんなに高く輝いていました。

そういえば、李白の詩で「静夜を思ひ」ってのがあったっけか、
牀前看月光/疑是地上霜/挙頭望山月/低頭思故郷
牀前(しょうぜん)月光を看(み)る
疑ふらくは是れ地上の霜かと
頭(こうべ)を上げて山月を望み
頭(こうべ)を低れて故郷を思ふ
まさしく、そんな月夜でした。
それにしても今年は雪が遅い。
何度か舞ってはいるけれど、未だ積もるには至らず。
来週は寒くなるそうなので初冠雪となるかも。
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小春日和
- 2010-10-16 Sat 19:52:44
- 未分類
連休後、涸沢で紅葉の撮影をして、その後しばらく下界で過ごしていました。
で、今日また涸沢経由で入山。
途中のザイテンから涸沢を俯瞰するとこんな感じ。

ずいぶん落葉が進んでいます。
でも、まだまだ鮮やかなところもあって、その部分だけを切り取ると、

…みたいな感じです。
ところで、今年の紅葉は実に見事でした。
もう10年以上も涸沢の紅葉は撮りつづけていますが、今までの記憶では2002年があたり年で、
でも今年はそれを凌駕していたかもしれません。
今年特に綺麗だと思ったのはその色の多彩さ。
あんなに黄色いナナカマド(ダケカンバではなくて、)があるなんて今まで知らなかった。
最盛期となった時期もおそかったけれど、10月中旬の今、まだこんな色づきがみられたのはちょっと記憶にない。
ここのところ暖かい日がつづいているのが幸いしているのかもしれませんね。
かなり夢中になってあれこれ撮りましたが結果は如何に…
故あってラッシュ(撮影原版)を見ることはしばらく出来ないので楽しみやら不安やら。
あの木々の輝きが少しでも映ってくれていたら… と願うばかりです。
さて、今日はまさしく「小春日和」。
かなり落葉してしまってはいましたが、
その木々から溢れてくる、秋のやわらかな日射しの中で落ち葉を踏んで歩くのがなんとも心地よかったです。
でも、そのあたたかな空気も、稜線に出ると一変。
汗でしめったウェアに吹き込む風に思わず「寒っ!」と声をあげてしまいました。
紅葉
もう要らなくなった筈のものがこんなに美しい。
赤と黄色と褐色と、その割り合いも実は大切なのであるが、
こうした紅葉のトンネルの中にいると、何故か余計なことを考えずにすむ。
というより、明るい、やわらかな光、
教会の窓辺の光もこんなかと思われるような光の中で、
私がどれほど気のきいたことを考えたとしても、
それはみすぼらしいものになってしまう。
(串田孫一『雲と大地の歌』より)
紅葉と向かい合って
大切なことは、先入観をさっぱりと捨てて、ともかく向き合うことである。
そうでなければ自然は何も教えない。
自然が本当に教えようとしていることを間違いなく、歪めることなく学ぶのには、
ゆっくりと考える時間が必要である。
(串田孫一『四季の無言歌』より)
で、今日また涸沢経由で入山。
途中のザイテンから涸沢を俯瞰するとこんな感じ。

ずいぶん落葉が進んでいます。
でも、まだまだ鮮やかなところもあって、その部分だけを切り取ると、

…みたいな感じです。
ところで、今年の紅葉は実に見事でした。
もう10年以上も涸沢の紅葉は撮りつづけていますが、今までの記憶では2002年があたり年で、
でも今年はそれを凌駕していたかもしれません。
今年特に綺麗だと思ったのはその色の多彩さ。
あんなに黄色いナナカマド(ダケカンバではなくて、)があるなんて今まで知らなかった。
最盛期となった時期もおそかったけれど、10月中旬の今、まだこんな色づきがみられたのはちょっと記憶にない。
ここのところ暖かい日がつづいているのが幸いしているのかもしれませんね。
かなり夢中になってあれこれ撮りましたが結果は如何に…
故あってラッシュ(撮影原版)を見ることはしばらく出来ないので楽しみやら不安やら。
あの木々の輝きが少しでも映ってくれていたら… と願うばかりです。
さて、今日はまさしく「小春日和」。
かなり落葉してしまってはいましたが、
その木々から溢れてくる、秋のやわらかな日射しの中で落ち葉を踏んで歩くのがなんとも心地よかったです。
でも、そのあたたかな空気も、稜線に出ると一変。
汗でしめったウェアに吹き込む風に思わず「寒っ!」と声をあげてしまいました。
紅葉
もう要らなくなった筈のものがこんなに美しい。
赤と黄色と褐色と、その割り合いも実は大切なのであるが、
こうした紅葉のトンネルの中にいると、何故か余計なことを考えずにすむ。
というより、明るい、やわらかな光、
教会の窓辺の光もこんなかと思われるような光の中で、
私がどれほど気のきいたことを考えたとしても、
それはみすぼらしいものになってしまう。
(串田孫一『雲と大地の歌』より)
紅葉と向かい合って
大切なことは、先入観をさっぱりと捨てて、ともかく向き合うことである。
そうでなければ自然は何も教えない。
自然が本当に教えようとしていることを間違いなく、歪めることなく学ぶのには、
ゆっくりと考える時間が必要である。
(串田孫一『四季の無言歌』より)
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