Home > 2010年07月
2010年07月 Archive
この素晴らしき世界
- 2010-07-31 Sat 23:48:02
- 未分類
夢中になってあれこれやっているうちにもう7月も終わり。
早いですねぇ~
さて、去る7月22日に僕の親友に待望の男児が誕生しました。
いやぁ めでたい!
と、いうわけでこのような映像を出産祝い変わりにヤツに送ったのですが…
この映像はほとんどのカットが2010年7月23日の撮影、
つまり彼の息子が始めて迎える夜明けというわけです。
僕や彼はもう数え切れないくらいの夜明けを迎えてきて、
決して楽しいばかりのこの世ではないということも知ってしまっているわけですが、
それでも時としてこんな素晴らしい太陽に出会える。
彼の未来に幸多かれ と。
さて、実際にお祝いに届けた映像には1分10秒あたりからの曲は、
サッチモの“What A Wonderful World”をつけています。
残念ながらそのままアップするわけにはいかないので、長さの合う別な曲をあてています。
でも、やはり「この素晴らしき世界」で見ていただきたいよなぁ~
早いですねぇ~
さて、去る7月22日に僕の親友に待望の男児が誕生しました。
いやぁ めでたい!
と、いうわけでこのような映像を出産祝い変わりにヤツに送ったのですが…
この映像はほとんどのカットが2010年7月23日の撮影、
つまり彼の息子が始めて迎える夜明けというわけです。
僕や彼はもう数え切れないくらいの夜明けを迎えてきて、
決して楽しいばかりのこの世ではないということも知ってしまっているわけですが、
それでも時としてこんな素晴らしい太陽に出会える。
彼の未来に幸多かれ と。
さて、実際にお祝いに届けた映像には1分10秒あたりからの曲は、
サッチモの“What A Wonderful World”をつけています。
残念ながらそのままアップするわけにはいかないので、長さの合う別な曲をあてています。
でも、やはり「この素晴らしき世界」で見ていただきたいよなぁ~
- Comments: 2
- TrackBack (Close): -
海の日
- 2010-07-20 Tue 09:29:12
- 未分類
昨日は「海の日」。
数年ぶりにすっきり梅雨が明けたこともあって、山は大賑わいとなりました。

この連休中、18日の宿泊は300名ともなっていきなり夏本番。
山荘のアルバイトたちもまだ仕事に慣れていないのでてんてこ舞いの忙しさでした。
この「海の日」が制定された10数年前ころには、
なんと700名以上(!)もの宿泊者数を記録したこともあって、
「海の日」どころか「山の日」じゃないか! と山小屋関係者にとっては戦々恐々の祝日であったのです。
それがここ数年は悪天候と休日が第三月曜日にシフトされたこともあって、
しばらくは鳴りをひそめていたのですが今年はひさびさに大賑わいとなりました。
さて、人が大勢動けば増えてしまうのが遭難事故。
この連休も大キレットや天狗ノコル、ザイテンや白出沢とあちこちで事故が起きてしまいました。
幸い死亡事故はありませんでしたが、目立つのは雪渓上での滑落です。
今年は例年よりもかなり残雪が多いです。
ご注意下さい。
(特に白出沢はまだ500m以上の急傾斜の雪渓がありますので10本爪以上のアイゼンが必要かと)

昨日の白出沢でのレスキュー
私はその悦びを始めて味わった半世紀以上前の、穂高連峰の縦走のことを鮮やかに憶えている。
そのところどころでは滑る岩やぐらつく岩に恐怖を憶えた筈なのに、その記憶の方は都合よく忘れ、自分の山での行動が急にひろげられ、それが自信ともなって、これに似た岩稜を他の山に求めては出掛けて行くようになった。
そのうちに、どの岩がしっかりとして、自分の体重をすべて託しても大丈夫であるとか、確かめる前に、この岩は大変に脆く、そこに手がかりや足場があっても頼りにするのは危険であるとか、一種の勘のようなものが身について来るのだった。
一般登山路といわれている比較的安全な道よりも、より困難な岩稜を選び、そこを登り切って山頂に達した時には、悦びが数倍も大きく深く感じられた。そして自分で自分を一段と成長させたような気持ちにもなるのだった。
それは思えば単純な悦びであって、世間に向かって誇るに足るようなものではなかったかも知れないが、山から下りて来て日常生活に戻っても、登る前よりも幾らか背筋をぴんとのばしていられるような気分であった。
(串田孫一 「岩稜」より)

穂高の夏はまだまだこれから…
数年ぶりにすっきり梅雨が明けたこともあって、山は大賑わいとなりました。

この連休中、18日の宿泊は300名ともなっていきなり夏本番。
山荘のアルバイトたちもまだ仕事に慣れていないのでてんてこ舞いの忙しさでした。
この「海の日」が制定された10数年前ころには、
なんと700名以上(!)もの宿泊者数を記録したこともあって、
「海の日」どころか「山の日」じゃないか! と山小屋関係者にとっては戦々恐々の祝日であったのです。
それがここ数年は悪天候と休日が第三月曜日にシフトされたこともあって、
しばらくは鳴りをひそめていたのですが今年はひさびさに大賑わいとなりました。
さて、人が大勢動けば増えてしまうのが遭難事故。
この連休も大キレットや天狗ノコル、ザイテンや白出沢とあちこちで事故が起きてしまいました。
幸い死亡事故はありませんでしたが、目立つのは雪渓上での滑落です。
今年は例年よりもかなり残雪が多いです。
ご注意下さい。
(特に白出沢はまだ500m以上の急傾斜の雪渓がありますので10本爪以上のアイゼンが必要かと)

昨日の白出沢でのレスキュー
私はその悦びを始めて味わった半世紀以上前の、穂高連峰の縦走のことを鮮やかに憶えている。
そのところどころでは滑る岩やぐらつく岩に恐怖を憶えた筈なのに、その記憶の方は都合よく忘れ、自分の山での行動が急にひろげられ、それが自信ともなって、これに似た岩稜を他の山に求めては出掛けて行くようになった。
そのうちに、どの岩がしっかりとして、自分の体重をすべて託しても大丈夫であるとか、確かめる前に、この岩は大変に脆く、そこに手がかりや足場があっても頼りにするのは危険であるとか、一種の勘のようなものが身について来るのだった。
一般登山路といわれている比較的安全な道よりも、より困難な岩稜を選び、そこを登り切って山頂に達した時には、悦びが数倍も大きく深く感じられた。そして自分で自分を一段と成長させたような気持ちにもなるのだった。
それは思えば単純な悦びであって、世間に向かって誇るに足るようなものではなかったかも知れないが、山から下りて来て日常生活に戻っても、登る前よりも幾らか背筋をぴんとのばしていられるような気分であった。
(串田孫一 「岩稜」より)

穂高の夏はまだまだこれから…
- Comments: 7
- TrackBack (Close): -
梅雨明け
- 2010-07-17 Sat 10:34:42
- 未分類
昨夜はあちこちで雷光がみられました。

そして今朝。

やほうぃ! とうとう梅雨明け!!
(って発表されたかどうかは確認していませんが…)
穂高に「夏」が来たぁぁぁぁぁぁ!!!
さて、これから穂高へお出かけの方は以下の動画をご参考下さい。
これは今年の映像ではありませんが、残雪の状態はほぼこんな感じです。
残雪の状況としては、例年よりも若干多め。
ルート上には、涸沢ヒュッテの下に約400mくらい。
涸沢小屋の上部からザイテングラードへの取り付きまでに約300mほど雪渓が残っています。
急傾斜のところはステップを切ってありますが、特に下山時には軽アイゼンがあったほうがよいです。
ただし雪の消えたところも長雨でゆるんでいる箇所がありますのでご注意下さい。
また、昨日は雷雨があり、今日もありそう。
山で雷雨に遭うとムチャクチャ怖いです。
これまたご注意を。
山は決して無条件に人を受け入れてくれるわけではありませんが、
正しい関わり方をすれば、とても大きな喜びを与えてくれます。
今朝は風景が瑞々しくてとても好かった。
雲も、花も、樹も、風も、空も、岩も、空も、光も、雪も、鳥たちも、
すべてが穂高のつかの間の夏に忙しそうです。
(ついでに僕も…)

そして今朝。

やほうぃ! とうとう梅雨明け!!
(って発表されたかどうかは確認していませんが…)
穂高に「夏」が来たぁぁぁぁぁぁ!!!
さて、これから穂高へお出かけの方は以下の動画をご参考下さい。
これは今年の映像ではありませんが、残雪の状態はほぼこんな感じです。
残雪の状況としては、例年よりも若干多め。
ルート上には、涸沢ヒュッテの下に約400mくらい。
涸沢小屋の上部からザイテングラードへの取り付きまでに約300mほど雪渓が残っています。
急傾斜のところはステップを切ってありますが、特に下山時には軽アイゼンがあったほうがよいです。
ただし雪の消えたところも長雨でゆるんでいる箇所がありますのでご注意下さい。
また、昨日は雷雨があり、今日もありそう。
山で雷雨に遭うとムチャクチャ怖いです。
これまたご注意を。
山は決して無条件に人を受け入れてくれるわけではありませんが、
正しい関わり方をすれば、とても大きな喜びを与えてくれます。
今朝は風景が瑞々しくてとても好かった。
雲も、花も、樹も、風も、空も、岩も、空も、光も、雪も、鳥たちも、
すべてが穂高のつかの間の夏に忙しそうです。
(ついでに僕も…)
- Comments: 0
- TrackBack (Close): -
孤高の道しるべ
- 2010-07-09 Fri 20:33:35
- 穂高
「……無垢の爾(なんじ)を、自分は絶愛する!」
今から七五年ほど前(※1)、名峰奥穂高岳の絶頂に立って、穂高の峰々に向かってこう熱く呼びかけたひとりの日本人登山家があった。
こんな書き出しではじまる一冊の本があります。
その本「孤高の道しるべ」(銀河書房)は、明治末期に穂高連峰の開拓探求に情熱を傾け、“幻の登山家”ともいわれた「鵜殿正雄」について記したものです。
(この本はもう絶版となっていますが、古本として入手は可能なようです。また穂高小屋の図書室にもあります。出版は1983年ですので(※1)は現在では「100年ほど前」ということになります)
鵜殿正雄は、まず明治三八年(1905)九月、現在の前穂高岳に挑み、日本人の登山者としては初登頂という快挙を記録します。ついで明治四十二年(1909)八月、名山案内人といわれた上条嘉門次とともに「穂高岳~槍ヶ岳間初縦走」をみごと成功させ、さらには大正元年(1912)八月、まだ残されていた「奥穂高~西穂高間の初縦走」をも完成させました。
こうして有史以来ながらく登山者を拒み、その美しい威容はまったく未知の世界としてとどまっていた穂高に、ようやく登山者としての足跡が印されたのです。
鵜殿正雄はまた、それらの探求をすぐれた紀行文として残しています。
彼の記した「穂高岳槍ヶ岳縦走記」は、克明かつ科学的であり、記録性の高い秀逸なものでした。
そのなかで鵜殿は穂高の各峰に「南穂高岳」(現在の前穂高岳)、「奥穂高岳」、「北穂高岳」(現在の涸沢岳)、「東穂高岳」(現在の北穂高岳)と命名しています。
また現在、奥穂山頂から白出のコルへむかう下降地点に通称「間違い尾根」と読んでいる小尾根がありますが、この初縦走時に名案内人の嘉門次を擁する鵜殿たちが誤ってこの尾根に踏み込み、引き返したという記述があったりもして、なんとまあ “由緒正しい” 間違い道であったのだと知らされたりもします。
この鵜殿の紀行文は、100年後の今につながるエピソードが随所に見られ感心させられます。
そして当然のことながら、この時代にはハシゴや鎖はもちろんマーキングもなかった…いや登山道そのものがなかった訳で、すべてのルートが今で言う“バリエーションルート”であり、その情報もほとんどない全く未知の岩稜を彼等はたどっていったのです。
…むちゃくちゃ面白かったんやろうなぁ。
きっと次から次へと現れる穂高の難所に出くわす度「ここを如何にして通過すべしや?」という思いで、血湧き肉躍ったに違いない。
そして彼等の眼前に広がった何の予備知識もない穂高の大景観に、心の底から魂が打ち震えていることが鵜殿の文章からは伝わってきます。
残念ながらフロンティアとしての穂高は現代には存在せず、
鵜殿正雄が抱いたであろう「無垢な感動」は我々はもう持ち得ないのかもしれません。
それでも、今でも穂高は人の心を動かす何ものかを持ち続けているし、
こんな風景に出会うと「なんかおれも穂高に “絶愛” しとるのかもしれへん…」と思うのです。
今から七五年ほど前(※1)、名峰奥穂高岳の絶頂に立って、穂高の峰々に向かってこう熱く呼びかけたひとりの日本人登山家があった。
こんな書き出しではじまる一冊の本があります。
その本「孤高の道しるべ」(銀河書房)は、明治末期に穂高連峰の開拓探求に情熱を傾け、“幻の登山家”ともいわれた「鵜殿正雄」について記したものです。
(この本はもう絶版となっていますが、古本として入手は可能なようです。また穂高小屋の図書室にもあります。出版は1983年ですので(※1)は現在では「100年ほど前」ということになります)
鵜殿正雄は、まず明治三八年(1905)九月、現在の前穂高岳に挑み、日本人の登山者としては初登頂という快挙を記録します。ついで明治四十二年(1909)八月、名山案内人といわれた上条嘉門次とともに「穂高岳~槍ヶ岳間初縦走」をみごと成功させ、さらには大正元年(1912)八月、まだ残されていた「奥穂高~西穂高間の初縦走」をも完成させました。
こうして有史以来ながらく登山者を拒み、その美しい威容はまったく未知の世界としてとどまっていた穂高に、ようやく登山者としての足跡が印されたのです。
鵜殿正雄はまた、それらの探求をすぐれた紀行文として残しています。
彼の記した「穂高岳槍ヶ岳縦走記」は、克明かつ科学的であり、記録性の高い秀逸なものでした。
そのなかで鵜殿は穂高の各峰に「南穂高岳」(現在の前穂高岳)、「奥穂高岳」、「北穂高岳」(現在の涸沢岳)、「東穂高岳」(現在の北穂高岳)と命名しています。
また現在、奥穂山頂から白出のコルへむかう下降地点に通称「間違い尾根」と読んでいる小尾根がありますが、この初縦走時に名案内人の嘉門次を擁する鵜殿たちが誤ってこの尾根に踏み込み、引き返したという記述があったりもして、なんとまあ “由緒正しい” 間違い道であったのだと知らされたりもします。
この鵜殿の紀行文は、100年後の今につながるエピソードが随所に見られ感心させられます。
そして当然のことながら、この時代にはハシゴや鎖はもちろんマーキングもなかった…いや登山道そのものがなかった訳で、すべてのルートが今で言う“バリエーションルート”であり、その情報もほとんどない全く未知の岩稜を彼等はたどっていったのです。
…むちゃくちゃ面白かったんやろうなぁ。
きっと次から次へと現れる穂高の難所に出くわす度「ここを如何にして通過すべしや?」という思いで、血湧き肉躍ったに違いない。
そして彼等の眼前に広がった何の予備知識もない穂高の大景観に、心の底から魂が打ち震えていることが鵜殿の文章からは伝わってきます。
残念ながらフロンティアとしての穂高は現代には存在せず、
鵜殿正雄が抱いたであろう「無垢な感動」は我々はもう持ち得ないのかもしれません。
それでも、今でも穂高は人の心を動かす何ものかを持ち続けているし、
こんな風景に出会うと「なんかおれも穂高に “絶愛” しとるのかもしれへん…」と思うのです。
- Comments: 3
- TrackBack (Close): -
重太郎新道
- 2010-07-08 Thu 23:48:25
- 穂高
今日は梅雨の晴れ間の良い天気。

吊尾根に最後まで残っていた紀美子平付近の雪渓の道切りをして来ました。
これで岳沢~紀美子平~奥穂~穂高岳山荘はアイゼン不要です。
もう穂高稜線で雪を踏むのはわずかばかりで、例えば北穂沢の源頭部も道切りがしてあるそうです。
しかしながら奥穂~涸沢、北穂~涸沢にはまだ急峻な雪渓が残っており、
今のところアイゼンなしでは通行できません。
(今月17日からの3連休までには道に手を入れる予定です)
つづいて重太郎新道の鎖取り付け

新たな支点を打ったりして山を傷つけることにはためらいもありますが、
土砂崩れでもともとあった鎖の支点が抜けていたので致し方ナシと判断しました。
それにしても改めて思ったのは「重太郎新道」の急峻さ。
およそ一般登山道で、
岳沢~紀美子平(前穂)ほど水平距離に対する標高差、つまりは斜度のきつい道はないかもしれない。
このルートを下山されるのにはそうとうな注意が必要だと感じました。
特にほぼ中間地点の「岳沢パノラマ」から下部、樹林帯へ入ってからが要注意ではないでしょうか。
過去に滑落、転落事故もそうとう起きています。
ご注意ください。

帰り道の吊り尾根で、
ライチョウのつがいが登山道をチョコチョコ歩いていて微笑ましかった。
人間よりライチョウのほうが多いかもしれない静かな穂高もあと僅かですね。

吊尾根に最後まで残っていた紀美子平付近の雪渓の道切りをして来ました。
これで岳沢~紀美子平~奥穂~穂高岳山荘はアイゼン不要です。
もう穂高稜線で雪を踏むのはわずかばかりで、例えば北穂沢の源頭部も道切りがしてあるそうです。
しかしながら奥穂~涸沢、北穂~涸沢にはまだ急峻な雪渓が残っており、
今のところアイゼンなしでは通行できません。
(今月17日からの3連休までには道に手を入れる予定です)
つづいて重太郎新道の鎖取り付け

新たな支点を打ったりして山を傷つけることにはためらいもありますが、
土砂崩れでもともとあった鎖の支点が抜けていたので致し方ナシと判断しました。
それにしても改めて思ったのは「重太郎新道」の急峻さ。
およそ一般登山道で、
岳沢~紀美子平(前穂)ほど水平距離に対する標高差、つまりは斜度のきつい道はないかもしれない。
このルートを下山されるのにはそうとうな注意が必要だと感じました。
特にほぼ中間地点の「岳沢パノラマ」から下部、樹林帯へ入ってからが要注意ではないでしょうか。
過去に滑落、転落事故もそうとう起きています。
ご注意ください。

帰り道の吊り尾根で、
ライチョウのつがいが登山道をチョコチョコ歩いていて微笑ましかった。
人間よりライチョウのほうが多いかもしれない静かな穂高もあと僅かですね。
- Comments: 4
- TrackBack (Close): -
Home > 2010年07月
- タグクラウド
- 使いっ走りheyko のつぶやき
- メッセージはこちらから
- QRコード
- ブログランキング