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5月のおわりに
- 2018-05-29 Tue 01:40:44
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4月5日以来、ご心配をおかけしたまま時が過ぎてしまいました。
多くのみなさまからあたたかいお言葉やご支援をいただきましたこと
感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。
遭難対策委員会のみなさま、独自で捜してくださった方々、
気にかけてくださっているすべてのみなさまに心よりお礼申し上げます。
5月23日朝、沼津港の沖合 北西に4キロ地点付近で身元不明の遺体が発見されたと連絡が入りました。
身元の確認を進めている状況との一報でした。
今はその結果の連絡を待つことにします。
宮田和子

(2017/05/29 宮田八郎撮影)
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南伊豆にて
- 2018-04-18 Wed 18:35:51
- 未分類
Hachiro ブログ「ぼちぼちいこか」を 読んでくださっているみなさまへ
すでにご存じの方もいらっしゃると思いますが、
このブログを書いている、ハチプロダクション代表 宮田八郎は、
4月5日、南伊豆子浦海岸よりシーカヤックで出艇した後、不慮の事故により行方不明となってしまいました。
海上保安部、警察、防災、そして山の仲間たちや友人が捜索を続けてくれていますが、
残念ながら未だみつかっておりません。
穂高で活動している宮田八郎が、なぜ南伊豆で・・・ と思われますが、
この後6月に計画していた、知床シーカヤックの旅にむけた練習場所だったこと、
4月中旬の穂高入山までのこの時期、携わっているヒューマンドキュメンタリー作品の心象風景撮影、
情熱を注いでいる星空撮影の場所がこの地であったのです。
シーカヤックスキルアップの話や写真、
撮れた、撮れなかった映像の話を聞くはずだったのですが、残念ながらできません。
みなさまにはご心配をおかけしていると思いながら、
お知らせが遅くなりましたこと、深くお詫び申し上げます。
2018年4月18日 宮田和子

(南伊豆町にて 宮田八郎撮影)
すでにご存じの方もいらっしゃると思いますが、
このブログを書いている、ハチプロダクション代表 宮田八郎は、
4月5日、南伊豆子浦海岸よりシーカヤックで出艇した後、不慮の事故により行方不明となってしまいました。
海上保安部、警察、防災、そして山の仲間たちや友人が捜索を続けてくれていますが、
残念ながら未だみつかっておりません。
穂高で活動している宮田八郎が、なぜ南伊豆で・・・ と思われますが、
この後6月に計画していた、知床シーカヤックの旅にむけた練習場所だったこと、
4月中旬の穂高入山までのこの時期、携わっているヒューマンドキュメンタリー作品の心象風景撮影、
情熱を注いでいる星空撮影の場所がこの地であったのです。
シーカヤックスキルアップの話や写真、
撮れた、撮れなかった映像の話を聞くはずだったのですが、残念ながらできません。
みなさまにはご心配をおかけしていると思いながら、
お知らせが遅くなりましたこと、深くお詫び申し上げます。
2018年4月18日 宮田和子

(南伊豆町にて 宮田八郎撮影)
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日はまた昇る
- 2012-03-11 Sun 10:37:07
- 未分類
「あの日」から一年。
きっと多くの人たちがそうであるように、
自分にできること、自分のすべきことを考え続けた一年だった。
ささやかではあるけれど、具体的なかたちとして残せたものもいくつかある。
ボランティアの合間のとある夜明け、宮城県亘理町の吉田浜で海から昇る朝陽を撮った。
その映像がドキュメンタリー映画 「傍(かたわら)~3月11日からの旅~」のファーストカットとなった。
(ちなみにこの映画のラストカットの満月も撮らせていただいた)
被災地でカメラを持つことに、ためらいがなかったと言えば嘘になる。
でもキャメラマンのはしくれとしてファインダーを通して被災地を見ることは、
僕に出来る数少ないことのなかのひとつであるし、そうすべきことであったとも思う。
映画「傍 ~3月11日からの旅~」予告編
しかしそれにしても、
まさか自分が生きているうちにこんな未曾有の災害を二度も目の当たりにするとは思わなかった。
(たのむからもうナシにして欲しい)
神戸が故郷である僕にとっては17年前の震災も忘れがたい。
震災当日の夜に普通のルートではダメで六甲を超えて神戸入りしたのだが、
その時に見下ろした、まったく灯りのついてない無惨な街の姿が脳裏に焼き付いている。
それで先日こんな映像を撮ってみた。
見た目には神戸の街はもう元の輝きを取りもどしている。
むしろ当時よりも明かりの量は増してさえいるかもしれない。
でもこの灯りひとつひとつに人の営みや暮らしがあって、
それそれが受けた傷がいまどうであるのかはわからない。
東北には、きっと一年が絶ってもまだ時が止まったままの方が大勢いると思う。
それでも、日はまた昇る。
きっと多くの人たちがそうであるように、
自分にできること、自分のすべきことを考え続けた一年だった。
ささやかではあるけれど、具体的なかたちとして残せたものもいくつかある。
ボランティアの合間のとある夜明け、宮城県亘理町の吉田浜で海から昇る朝陽を撮った。
その映像がドキュメンタリー映画 「傍(かたわら)~3月11日からの旅~」のファーストカットとなった。
(ちなみにこの映画のラストカットの満月も撮らせていただいた)
被災地でカメラを持つことに、ためらいがなかったと言えば嘘になる。
でもキャメラマンのはしくれとしてファインダーを通して被災地を見ることは、
僕に出来る数少ないことのなかのひとつであるし、そうすべきことであったとも思う。
映画「傍 ~3月11日からの旅~」予告編
しかしそれにしても、
まさか自分が生きているうちにこんな未曾有の災害を二度も目の当たりにするとは思わなかった。
(たのむからもうナシにして欲しい)
神戸が故郷である僕にとっては17年前の震災も忘れがたい。
震災当日の夜に普通のルートではダメで六甲を超えて神戸入りしたのだが、
その時に見下ろした、まったく灯りのついてない無惨な街の姿が脳裏に焼き付いている。
それで先日こんな映像を撮ってみた。
見た目には神戸の街はもう元の輝きを取りもどしている。
むしろ当時よりも明かりの量は増してさえいるかもしれない。
でもこの灯りひとつひとつに人の営みや暮らしがあって、
それそれが受けた傷がいまどうであるのかはわからない。
東北には、きっと一年が絶ってもまだ時が止まったままの方が大勢いると思う。
それでも、日はまた昇る。
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友部正人ライブ
- 2011-05-21 Sat 08:14:02
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一昨日、いわき市で友部正人さんのライブを撮影しました。

(2011/05/19 いわき市「sonic」にて)
その華奢な体からは想像できないソウルフルかつハートフルな歌声に感動。
この日は震災へのチャリティということもあって、
演奏曲はすべてリクエストによる“投げ銭ライブ”で、
「一本道」や「遠来」などの名曲も聴くことができました。
しかし、ギターひとつと自分の歌声だけで、
これほどに人々に勇気と元気を与えることのできるのってスゴイよなぁ。

(2011/05/19 いわき市「sonic」にて)
その華奢な体からは想像できないソウルフルかつハートフルな歌声に感動。
この日は震災へのチャリティということもあって、
演奏曲はすべてリクエストによる“投げ銭ライブ”で、
「一本道」や「遠来」などの名曲も聴くことができました。
しかし、ギターひとつと自分の歌声だけで、
これほどに人々に勇気と元気を与えることのできるのってスゴイよなぁ。
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飯舘村
- 2011-05-20 Fri 07:50:17
- 未分類
一昨日、宮城県の亘理町から福島県のいわき市へと移動する必要がありました。
「浜通り」と呼ばれる福島県の海沿いを南下すると、相馬市、南相馬市と続き、
そして今や日本で最も有名な場所と言っていい例の施設へ至ります。
今回は友人の映画関係者が行っているドキュメンタリー撮影のお手伝いということもあって、
通行止めとなる20㎞ギリギリまで行ってみようとなりました。
「フクシマ」の現実を自分たちなりに見てみたい、というのが目的です。
南相馬市の原町(はらのまち)という辺りで国道は通行止めとなり、内陸方向へ迂回せねばなりません。
「浜通り」から「中通り」へ向けて車を走らせると、
やがて至るのが、報道で何かと耳にする「飯舘村」

(2011/05/18 福島県飯舘村にて)
今の季節は日本中何処へ行っても新緑がとても美しいですが、
飯舘村では、何かそんな生命力溢れる風景がひときわ輝いていたような気がしました。
鳥の囀りや木々のざわめき、風の気配…
そんなものがとても強く感じられるのです。
それは、そこにほとんど人の姿がなく、
人の生活が失われてしまったがためにノイズがほとんどなかったからなのかも知れません。
「浜通り」と呼ばれる福島県の海沿いを南下すると、相馬市、南相馬市と続き、
そして今や日本で最も有名な場所と言っていい例の施設へ至ります。
今回は友人の映画関係者が行っているドキュメンタリー撮影のお手伝いということもあって、
通行止めとなる20㎞ギリギリまで行ってみようとなりました。
「フクシマ」の現実を自分たちなりに見てみたい、というのが目的です。
南相馬市の原町(はらのまち)という辺りで国道は通行止めとなり、内陸方向へ迂回せねばなりません。
「浜通り」から「中通り」へ向けて車を走らせると、
やがて至るのが、報道で何かと耳にする「飯舘村」

(2011/05/18 福島県飯舘村にて)
今の季節は日本中何処へ行っても新緑がとても美しいですが、
飯舘村では、何かそんな生命力溢れる風景がひときわ輝いていたような気がしました。
鳥の囀りや木々のざわめき、風の気配…
そんなものがとても強く感じられるのです。
それは、そこにほとんど人の姿がなく、
人の生活が失われてしまったがためにノイズがほとんどなかったからなのかも知れません。
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